1995年、8年間大丸オーストラリア社長の職にあった奥田務は急遽日本に呼び戻され、取締役に抜擢、1年半後の1997年、社長に就任する。奥田に託された仕事は大丸の再建であった。
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| 札幌店オープン当日の奥田CEO(当時社長)による立札風景(手前右) |
1998年から開始された経営改革は、「負の遺産の整理」と「業務オペレーションの改革」という、いわば守りの改革と攻めの改革の2本柱によって構成される。奥田がまず取り組んだのは守りの改革、出血を止めるための外科手術ともいえる不採算店舗と事業の整理であった。11店あった海外店を全面撤退、国内でも3店を閉鎖、さらに内装事業部門の分社化、商社事業部門の分離・再編、印刷会社の売却などを行い、同時に早期退職優遇措置によって約850名の人員削減を実施し、1998年からわずか1年半でキャッシュフローを大幅に改善させた。続いてマーケット対応力の弱さと高コスト・低収益構造という根本的な問題を克服するための攻めの改革として、営業改革を中心とする「業務オペレーションの改革」が開始された。課題は2つある。第1の課題は、時代に適合した強い競争力を持つ百貨店事業をいかに構築するか、大丸が目指す百貨店像の明確化である。奥田は「クオリティが高く、いつでも新鮮で、ホスピタリティにあふれる大丸」を事業コンセプトに掲げ、これに向かってあらゆる活動を統合し強化を図った。例えば、顧客の声に耳を傾ける商品開発によって数億円規模のヒット商品が生まれるなど、この戦略は数々の成功を収めている。第2の課題は、科学的マネジメントによる生産性の高い百貨店オペレーションの確立である。営業、外商、事務、人事という4つの経営改革への取り組みにより、業務の標準化と職務内容、責任の明確化が進められ、「最大のお客さま満足を最小のコストで実現する」生産性の高い経営体質が確立されつつある。
こうした改革の結果、大丸は百貨店業界トップクラスの営業利益額と率を達成し、2004年2月期には、連結・単体ともに、営業・経常・当期純利益すべてにおいて過去最高益を更新した。2003年3月にオープンした札幌店は、こうした経営改革から生まれた新しいビジネスモデルによって実現した店舗で、改革以前であれば800名程度の社員を必要とする規模でありながら、490名という少人数での運営が可能となり、通常3〜4年かかるといわれる営業黒字化を開店初年度で達成してみせた。
奥田の言葉によれば、事業は生き物だという。環境の変化に応じて進化を続けないと絶滅してしまう。経営改革の核となったこの発想こそ、大丸が287年間持ち続けてきた経営理念であり、今後も引き継がれていくDNA「先義後利」そのものである。
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| 2005年に、阪神淡路大震災から10年目を迎える神戸店 |
IRマガジン2005年新春号 Vol.68 野村インベスター・リレーションズ