先駆者たちの大地

三共株式会社 創業者 塩原又策

1900〜1913年 日本初の新薬メーカー「三共株式会社」の誕生

三共商店薬品部店舗の写真
三共商店薬品部店舗
(日本橋南茅場町)

1900年(明治33年)、高峰博士は、アメリカで副腎皮質からのホルモン純粋成分の抽出に成功し、「アドレナリン」と命名した。2年後の、1902年(明治35年)に帰国した博士は塩原と語り合い、その誠実な人柄とタカヂアスターゼの販売実績を評価して、アドレナリンの販売契約を締結した。アドレナリンは製品名を「アドリナリン」として発売され、以後、医療の各分野で止血用、血圧上昇用として幅広く使用されるようになった。この頃、薬業への専念を決意していた塩原は、同年6月、東京・日本橋の南茅場町に「三共商店薬品部」を開設した。

1904年(明治37年)、北里柴三郎博士と穂積陳重博士がアメリカで開かれる医学会に招かれ、塩原は、高峰博士の勧めでこれに同行することとなった。アメリカに着いた塩原は、当時、三共商店が代理店契約を結んでいたパーク・デービス社の研究所や工場をつぶさに見学し、その帰路、ヨーロッパ各国を歴訪して見聞を広めた。こうして塩原は、ひとつの決意を固めた。これまでのように単に新薬を販売するだけでなく、新事業として、新薬を開発する製薬業に取り組もうとする決意である。帰国した塩原は、早速、製薬工場の建設に着手し、翌1905年(明治38年)、日本橋箱崎町に箱崎工場を開設した。三共の製薬業進出の基礎となった第1号の工場である。
製薬業でも次第に業績を伸ばしていった三共商店は、1907年(明治40年)4月、「三共薬品合資会社」に改称、さらに翌1908年8月には、医薬品以外にも医科用器械の輸入販売、医学書の出版事業を手がけるようになり、「三共合資会社」に改称した。こうして新たな事業分野へ進出したことで、これまでの社屋が手狭になってきたため、1909年3月に、日本橋室町の新社屋へ移転した。

オリザニンの写真
オリザニン

1911年(明治44年)8月、鈴木梅太郎博士が世界で初めて発見したビタミンBが、「オリザニン」と命名されて三共から発売された。三共がビタミンのパイオニアといわれる所以はここにある。この時期の三共は、地道な研究を積極的に製品化する方針が評価され、日本の一流科学者の研究成果である新薬の製造・販売を、ほとんど一手に担っていた。メバロチン誕生にいたる研究開発型企業としての萌芽が、すでにここに見られる。そして1913年(大正2年)3月1日、塩原は、化学工業のいっそうの振興をめざし、三共合資会社を名実ともに近代工業に発展させるため、高峰博士を初代社長として、「三共株式会社」を発足させた。

IRマガジン2002年1-2月号 Vol.53 野村インベスター・リレーションズ