デリバティブについて知っておこう

デリバティブとは?~将来のリスクを回避する

ここからは「デリバティブ」について解説しよう。聞き慣れない言葉かもしれないけど、これも重要な投資手段の一つだ。
株式、債券、投資信託など、お金を増やすための手段を「金融商品」という。デリバティブは、これらの金融商品に派生して生まれる権利などを取引するものだ。そのため日本語では「金融派生商品」と呼ばれているんだ。・・・といっても、イメージしにくいかもしれない。まず簡単な例でその考え方を説明しよう。

コーヒー豆の値段が変動するリスクにどう対応するか・・・

コーヒー農園を持つAさんと、カフェを経営するBさんがコーヒー豆を売買しているとしよう。農作物は、豊作の年もあれば不作の年もあるので、コーヒー豆の値段が毎年変わるのが2人の悩みのタネだった。

Aさんは、不作の年は売れる量が減るから収入も少なくなるし、豊作になりすぎると豆の相場が下がるので、それも困る。Bさんとしては、豆が値下がりすればトクだが、値上がりした場合、お店で売るコーヒー1杯の値段を急に上げるのは難しいので利益が減ってしまう。AさんもBさんも、コーヒー豆の値段がずっと安定していたらいいのにと思っていた。

コーヒーの通常取引

将来の値段を今決めておくことのメリット

そこでAさんとBさんは、コーヒー豆を収穫する前に、あらかじめ今年の豆の売買価格を決めておくことにした。そうすればその年が不作でも豊作でも、収穫後に2人はこの条件でコーヒー豆を売買できる。Aさんは一定の収入を確保できるし、Bさんはあらかじめコーヒー豆の代金が確定するのでカフェ経営の計画を立てやすい。

このように「将来の売買価格をあらかじめ決めて取引する」という方法を先物取引といい、代表的なデリバティブの一つだ。デリバティブは、価格の変動などのリスクを回避し、未来の不安を取り除くために生まれたと言っていいだろう。

コーヒーの先物取引

世界で最初の先物取引所は江戸時代の大阪にあった!

デリバティブの歴史は意外と古い。世界で初めて先物取引を専門的に扱う取引所が開設されたのは、じつは江戸時代の日本の大阪だと言われている。当時の大阪はコメを売買する米市(こめいち)が集積しており、1730年代の8代将軍の徳川吉宗の時代になると、大阪堂島米会所でコメの先物取引の市場がスタートした。

当時、コメは人々の食生活を支えているだけでなく、江戸幕府にとっては税収(年貢)として徴収するものであり、また武士に対する給料としても用いられた。そのため、毎年の豊作・不作によって値段があまりに変動してしまうと、社会全体に混乱を招く。コメの値段安定は大きな課題だった。これに対応するために、大阪の堂島の地で、コメの先物取引が導入されたんだ。

ふつうの取引はコメとおカネを交換するが、先物取引は将来の値段を約束するだけなので、帳簿上だけで行われるバーチャルな取引だ。その後、ヨーロッパでも先物取引を扱い市場がつくられるようになるが、大阪の堂島米会所での先物取引は当時としては先進的なものだったようだ。

世界初の先物取引所

日野先生からのアドバイス

「デリバティブ」と聞くと、最新の金融商品と思われがちですが、意外と歴史は古いのです。未来の不安に備えるため、というリスク回避(ヘッジ)を目的として生まれ発展してきました。